shiroxuma’s blog

東京のすみっこで楽しく暮らす20代OL(?)のブログ

ETERNAL2を見て日系企業における管理職像を考える

※舞台ETERNAL2のネタバレを含みます。

 

この記事は以下の記事の続編となります。

shiroxuma.hatenablog.com

 

本当は『レンブラントは王の器たりえるか』というタイトルで書こうかと思ったのですが、よくよく考えると王政や政治について専門的に学んだわけではないので、方針を変えてレンブラント日系企業の管理職だったら有能か否か、という論点で書くことにしました。

以下、観劇していて「おっ」と思った点を挙げていきます。なお、2か月前の記憶をもとに書き起こしているため、劇中の台詞や内容は正確ではありません。LDHさん早く円盤出してください。

 

①決断力がすごい

管理職の仕事は『決める』ことです。部下が実務を進めていく際、A案でいくか、B案でいくか、決めかねることがあります。その際、部下がやるべきことは両案のメリットデメリットの洗い出し、そして部下自身はどちらの案がベターか意見を出すところまでです。A案かB案か、決定し責任を持つのが管理職の役割であり、その責任能力に対して平社員に上乗せされた給料が支払われています。もちろん、『決める』には経験や知識が必要ですし、判断をするたびに精神は摩耗していきます。そのようなロールだからこそ会社は高給を支払って管理職を存在させているのです。
さて、レンブラントが部下から報告を受けるシーンは以下のようなセリフで構成されていました。

部下「オルド軍捕虜の収容所がいっぱいです」
レンブラント「収容所を増やしてくれ」
ジーン「捕虜をお客様扱いしてどうするんだ」
レンブラント「まずは国土復興が先だ。捕虜の扱いについてはいずれリーフェンとも話し合って決めたい」

はい、管理職として理想の決断力ですね。ひとつひとつ見ていきましょう。
「収容所を増やしてくれ」⇒部下は収容所から溢れた捕虜の扱いに困っているわけです。どうしたらいいか判断がつかない。そこで状況報告をしてレンブラントの指示を仰いでいる。それに対し、レンブラントは明快な指示を与えている。収容所を増設し、そこに捕虜を収容しろ、と。おそらく現場では増え続ける捕虜に戸惑う誓約団員が多くいたのでしょう。もう収容所はいっぱいだ。これ以上増えたらどうするんだ。ジーンのセリフにもあるように、「こんなにも多くの捕虜を生かしておく必要はあるのか、我々の仲間を殺した敵ではないか」といった感情も生まれていたかもしれません。先述の通り、私は政治学や戦争法について専門教育を受けたわけではないので、この処置についての是非はここでは論じません。そうではなく、一般的な会社での業務を想像してみてください。「この仕事、上から降ってきたけど、やる意味あんのかな」こんなケースはありませんか?こういったとき、管理職がきっぱりと「やる」「やらない」と決めてくれれば、部下は余計な迷いを抱えず、判断に脳のリソースを奪われず、効率的に仕事を進めることができます。そういう意味で、レンブラントが「収容所を増やせ」と指示を飛ばすことは重要なのです。文句を言う団員がいても、「レンブラント様がやれと言ったんだ」と説明すれば納得し、チーム一丸となって「戦後処理」という事業を成し遂げられるのです。
「まずは国土復興が先だ」⇒破壊されたインフラの整備が先か、リーフェンを探し出して王位継承や捕虜問題について話し合うのが先か。悩ましい問題ではあるのですが、ここでエイヤッとどちらかに決める能力が管理職には必要です。万が一、それが間違った判断だったとしても、管理職の号令のもとに部下一丸となって業務を進めるスピード感の方が重要だと私は考えています。決めて、進める。そうすれば、間違いにも早く気が付くので、リカバリーも早く始められます。逆に無能な管理職の場合は、判断を間違い、非難されることを恐れてどちらにも決められません。そうすると仕事は何も進まないのです。管理職に一番必要な能力は『腹をくくる』能力だと思います。
「リーフェンとも話し合いたい」⇒適切なステークホルダーと適切にコミュニケーションを取れる判断力は管理職に必要です。自分で判断できるところはする。そうでなく、他部署や役員、社外との調整が必要な場合は適切に行う。そうしてくれることで、部下は安心して目の前の業務に集中できます。逆に無能な管理職の場合、ステークホルダーの合意を事前に取り付けておかなかったせいで、後から反対されて自部署の方針を守り切れず、部下が進めていた仕事を途中で方針変更しなければいけなくなるケースがあります。

 

②粘り強く物事を進める力

なんだか就活のエントリーシートみたいなワードを挙げてしまいましたが、本当に必要なことだと思っています。物語のラストで、オルド(のミックスルーツをもつ人々)と人間が共存する国を本当に作れるのか?というニクラスの問いに、レンブラントは「一歩ずつだ!」と答えています。この台詞は劇中で最も印象に残っていて、私がこの記事を書こうと思い立ったきっかけでもあります。
管理職としてマネジメントするたぐいの仕事は、どんな業務であれ一朝一夕では終わりません。プロジェクトを進める中で、困難が待ち受けているでしょう。役員に反対されるかもしれません。部下が突然離職するかもしれません。市場が激変するかもしれません。たくさんの問題点が、プロジェクトに立ちはだかります。その時、ああ無理だと諦めてしまうようでは何一つ達成できません。無能な管理職はメンタルが弱いので、「役員に怒られた。このプロジェクトはやめよう」とすぐ言い出します。
降りかかる困難をひとつひとつ、地道に解決しながら、少しずつでも業務を前に進める。鉄の意思、強固な信念をもってやり遂げることで、大きなインパクトのある仕事が完遂できるのです。レンブラントの「一歩ずつだ!」という台詞からは、その『意思の力』が感じられると思うのです。

 

③嘆かない

ETERNAL2は物語の構造として

・崇高な理想を掲げてはいるものの現実が見えていない(とされる)レンブラント
レンブラントが思い至らない闇の部分まで見知っている(とされる)リーフェン
・人間にレイプされたオルドの母から生まれたニクラス隊

の3者が対話しながらストーリーが進行していきます。このうちリーフェンとニクラス隊はどちらも母の愛を得られなかった存在として重ねて描写されます。
でも実際問題、レンブラントも完璧に幸せな家庭で育ったかというとそうでもなく、父親は幼い頃に亡くなっているし、その亡くなった父が元旧教徒ということで、新教徒の国であるノルダニアでも肩身の狭い思いをしていたのではないでしょうか。もちろん貧民街の住人などからすれば王族は衣食住が保証されていてずるい、と思うかもしれませんが、当時のレンブラントからすれば、周りの子息たちはみな両親が揃っていてどちらも新教徒な訳です。自分が今存在している環境の中で、自分だけが片手落ちな条件を抱えて生きなければいけないのは辛いはずです。
現代日本で例えるならば、『花より男子』が分かりやすいかもしれません。主人公のつくしは、地元の公立中学校においては一般的な存在で、周りと比べて辛いことはありません。しかし英徳学園に進学してからは同級生と比較して『貧乏人』として存在することになり、そのギャップ故のトラブルに巻き込まれていくわけです。ここでつくしの家庭について「そうはいってもまともな両親・弟が揃っていて、雨風しのげる家があって空腹に飢えて倒れるわけではないでしょう。世の中には片親やもっと大変な人もいる」と言ってもしょうがないわけで、なぜならつくしは明日も明後日も同級生とのギャップがある英徳学園に通わなければいけないからです。
レンブラントだって家を飛び出して貧民街のそばで暮らせば相対的にお金持ちとして存在できるでしょうが、そうはいきません。明日も明後日も新教徒の王族として社交界で暮らしていかなければいけないのです。そこには絶対に出自ゆえの苦しみがあったはずです。
しかしレンブラントは嘆きません。リーフェンやニクラスたちにやんややんや言われた際に、「うるせぇ!俺だって大変だったわ!お前たちばっかり可哀想ぶるんじゃねぇ!」と言ったって良いわけです。それでもレンブラントは嘆かない。相手に共感し、辛かったなぁ、と涙を流し、熱く抱きしめるわけです。熱い抱擁すぎて、ちょっと心配になるほどに(笑うところ)。
これは管理職として120点をあげてもいい部分で、やっぱりメンタルがしっかりしていて、どんと構えて、部下に心配されるのではなく逆に部下の不安点を受け止めて解決してあげる包容力は大事だと思います。
無能は管理職は「僕だって辛いんだよぉ」「また役員に怒られちゃった」「もう辞めようかな」などと不平不満をばらまき部下を不安にさせます。これでは会社がわざわざ高給を払ってその管理職というポジションを組織に置いておく意味がありません。
レンブラントのように内から生まれる強い心で己を律することができるのはごく一部の人間だけだと思いますが、メンタルが弱い自覚があるならばその分、ケアに時間とお金を割けばいいわけです。せっかく高給を貰っているのだから。悲しいのは、冒頭の引用記事で記載した通り、現状の日系企業では年功序列で管理職になってしまう人間が多く、ある一定の年齢になってくると子どもや家庭に何かとお金が必要となって、せっかくメンタルケア代も含めて支払われている給料が養育費やらに消えてしまい、自分をいたわれないおじさんが量産されてしまうことなんですよね。昔でいうキャバクラが、今でいうパパ活が、おじさんの精神的な尊厳を支え、ある程度メンタルケア機関として機能していたのかな、と想像する部分はありますが、だったらいっそ専門のカウンセリングがもっと一般的になればいいのにな、とも思います。

④謝罪する勇気、辛い現実を直視する勇気

2019年の東大入学式において上野千鶴子氏が述べた祝辞が話題になっていましたが、その内容は(性差別と)教育格差に関するものでした。内容の是非はここでは論じませんが、要は厳しい受験戦争を勝ち抜いてきた新入生たちに「あななたちは恵まれている」と突きつけたわけです。
普通の人間なら拒否反応が起こりますよね。どんなに倫理的に正しい論説だろうと頭ではわかっていようと、自分に対する批判を一切の感情を排して対処することなんてできるでしょうか。むしろ、ある程度は自己を正当化しないと、精神が壊れてしまいます。
レンブラントも同様に、「人間はオルドをレイプしていたのだ」「お前たちだってオルドをせん滅しようとしていたじゃないか」と、批判を面と向かって食らいます。しかしここですごいのが、レンブラントは言い訳をせずに素直に受け入れ、自論(『ニクラスたちの存在は人間とオルドが愛し合った証拠だ』)を修正し、謝罪し、熱い抱擁(ちょっと面白い)でついにはニクラスの心を開くわけです。
たいてい管理職は間違いを指摘されても、自己正当化するためにあれやこれやと言い訳をします。自分は間違っていない、こういう考え方もある、部下の伝達漏れがあったからだ、などなど……。管理職に限らず、普段のコミュニケーションでも誤りを認めない、謝罪しない人っていますよね。それは前述の通り、本人が病まないためにはある程度必要なことでもあるし、ビジネスの場においては「謝ったら負け」みたいなシチュエーションもあるにあります。
しかし、実際、自分が部下として働くならどういった管理職の元で働きたいでしょうか。たとえ立場が上でも、年次が上でも、間違いを素直に認め謝罪できる上司のほうが結果としては組織のパフォーマンスが上がるのではないでしょうか。

また、レンブラントはそのように己の思い至らなさ・無知を素直に受け入れた上で、リーフェンに教えを乞います。そして「お前が想像もつかないような辛い現実であったとしてもか」と問われ、迷わず「はい」と答えます。為政者として、民の現実を直視し、課題解決をして良い国を作るためです。
無能な管理職は臭いものに蓋をします。プロジェクトの欠陥に気が付いたとしても、「見なかったことにしよう」「先延ばしにしよう」「どうしたらいいか分からない。君たちで考えておいて」と、自分では直視しようとしません。しかしレンブラントは自ら問題を直視しようとします。これは精神的な負荷がかかる行為です。ここまでくると最早「意思の力」としか言いようがない領域です。日系企業の管理職は年俸をもらっている分、精神労働をするべきですが、レンブラントが現実の戦後処理に向き合ったところで報酬はありません。にも関わらずレンブラントが自身の心身を削ってまで現実を直視しようとするのはなぜか。彼の生まれ持っての気質なのかもしれないし、リーフェンやニクラス、誓約団の仲間たちとの出会いと交流によって意思が研ぎ澄まされていったのかもしれないし、次の項で論じる出自による誇りに由来するのかもしれません。

 

⑤神輿としての管理職

管理職、リーダー、(ザワでいうところの)頭、そしてETERNALにおける王。これらには神輿・象徴としての側面もあると思っています。レンブラントがディランドを復興すると言うから誓約団、そしてETERNAL2を経てリーフェンやニクラスも力を貸すわけです。また、ノルダニア王都からすれば、ディランドは紛争状態の地であったが、レンブラントという象徴が王(仮)としてまとめているから地方自治を認めよう、と扱うこともできるかもしれません(作中で描写はされていませんが、現実的に考えるとそうなるかと)。さらに敵からすれば、レンブラントの統率のもと誓約団が治安維持をしているから今は手を出すのをやめておこう、という抑制力にもなりえます。
管理職も同じで、部下が「この人のもとで一丸となって事業を進めていこう」と思いパフォーマンスを発揮する。役員や他部署からは〇〇部長のところに任せておけば大丈夫だろう・彼がそう言うなら予算を通そう・彼に拒否されたからこの仕事を押し付けることはできない、など政治力学が発生する。社外の取引先に対してもそうです。トラブルがあったときは管理職が出て行って話をつける。あるいはコンペがあるような業界では〇〇支店長が出てくるなら安心だな、競合他社には手ごわいな、などの印象を与える。
このように、神輿・象徴としても管理職は必要なポジションなのです。
そして、そういった印象はどこから発生するのか。派閥や学閥、そして経歴ではないでしょうか。例えば、〇〇部長は××専務が現役だったころの腹心で△△のプロジェクトの影の立役者であるとか。あるいは、社長と同じ〇〇大学出身だから重用されているのだろう、対立しないほうがいい、とか。
こうして考えたときにレンブラントの出自・経歴はディランドの管理職を務めるにあたって最適で、
・ディランド出身である
・父は元旧教徒であり、ディランドに残っている旧教徒と関係を築きやすい
・母はノルダニア王族であり、宗主国たるノルダニアとの政治力学として悪くない
・ディランドを開放するため自ら軍を率いて戦った
と、このように好条件が揃っています。唯一不安点が残るところとしては、ディランド解放の際にオルド(とレンブラントは気が付いていなかったがオルドと人間のミックス)を倒したところですが、それについては戦争論の領域なのでこの記事の主旨からは外れるので論じないこととします。

⑥部下とのコミュニケーション
これはオマケ項目ですが、ジーンたちの月見酒に付き合うレンブラントの描写がありました。ジーン曰く、「すげぇと思うよ。王子サンのそういうところ(王族なのに団員達の野外飲みに付き合ってくれる)」とのことで、この台詞はちょっとあからさますぎますが、身分の差をものともせず、部下たちとコミュニケーションを取り、ジーンに「ジーンの立場から見てこの国はどうか。ルークでは考え方が王家に近すぎる」と教えを乞う態度は管理職として目指すべき姿だと思います。
もちろん部下に聞いてばかりではだめで、自分が答えを持っていないのに部下に「で、お前はどうしたいの?」と丸投げするのは無能な管理職のやることです。自分の目が届かない部分の情報など判断材料は部下に提供してもらうが、最終的な判断をし、腹をくくって責任を取る。それが管理職の仕事であり、レンブラントもできているところだと思います。

 

…とまぁ色々と書いてきましたが、まとめると「強固な意志と立場と人柄がレンブラントを(ディランド地方の)ベターな管理職像たらしめている」といったところでしょうか。冒頭に引用した過去記事と関連させるのであれば、LDHあるある:対立勢力のリーダーの方がスマート(ベストとは言ってない)な管理職である(上田佐智雄、ニクラス)についても比較して考えたいところではありますが、それはまた次の記事で、としたいと思います。

 

終わりだよ~